
絨毯(じゅうたん)とは、屋内の床に敷くための織物や敷物のことである。カーペットとも呼ばれる。歴史的には、織物、草でできた敷物、テーブルや壁を覆うものにも用いられた語である。
18世紀のヨーロッパで、屋内の床に一般的に使用されるようになった。手で結んで作られたパイル絨毯は、中央アジアで紀元前4000年から2000年の間に作られたとされる。製法は10世紀にMoorsによってスペインに紹介され、十字軍がトルコのカーペットをヨーロッパに持ち帰った。当時は、壁に掛けられるか、テーブルを覆うものとして用いられた。17世紀に通商航路が始まったことにより、ヨーロッパ西部では多くのペルシャ敷物が導入された。
の伝統的絨毯職人]]
hooked rugは目のあらい麻布などの丈夫な織物の編み目を通して、羊毛や綿などの布の一端を引き出して作られる、手作りの敷物の種類である。一般に、現在ではこの種の敷物は手工芸品として作られる。
knotted pileは、横糸は垂直に折り目の表面から上昇し、それを補っている横糸と交替する。この補っている横糸は、絨毯の毛羽立ちを作るため、3種類の結び方の一つによって縦糸に付けられている。
19世紀後半、モケットは床一面に敷く絨毯を意味するようになった。これらの織物は、低い突起があり、手で編まれたパイル・カーペットより薄いものである。16世紀から作られたこの種類の絨毯は、ビロードのような機械化された織機の上に編まれる。結び目を形成しないで、補われる縦糸は横糸の下で輪にして付けられている。織機の構造として、デザインを作るために5つの色を使うことができる。モケットは比較的細長いパネル型(27インチまたは36インチ)に織られる。より大きな製品は、いくつかの縫い目模様から構成される。モケット絨毯は床、家具のテーブル、壁の覆いとして使用された。その生産は1812年にフランスのジャカード織機の応用により改良された。19世紀中ごろの蒸気機関の導入により、さらに生産能力が向上した。
編んで作られた絨毯と違い、刺繍でできたものは織機に形成されない。それらの模様は、1針ずつの縫い目を応用することで、布(またはリネン)の基礎の上に設けられる。一般的な縫い目はテント・ステッチとクロスステッチの2つである。 刺繍によって作られた絨毯は、16世紀以来、貴族によって伝統的に作られ、また、いくつかの工業的生産も行われている。16世紀には、鉄製の針(それ以前は骨で作られていた)の導入による生産性の向上と、リネンの改良が見られた。 スコットランドの女王メアリー・スチュアートは、熱心な刺繍の製作者であったことが知られている。 16世紀のデザインは、つる植物と地方の花(例えば、Bradford carpet)を渦巻き状にしたものである。しばしば動物の紋章が組み込まれた。その生産は19世紀まで続けられた。ヴィクトリア朝の絨毯は非常に幻想的で、3次元の花も描かれている。 Berlin wool workと呼ばれるタイル張り模様(一連の正方形で構成される)は、1804年にドイツで紹介された。それらは1830年代にイギリスで非常にポピュラーになった。
19世紀には、機械をそれほど使わない、高価な絨毯の種類が発明された。1832年に壁掛けのブリュッセル絨毯と、ビロード絨毯の生産がはじまった。これらの技法は、異なる巻き枠を使用する必要性を排除しながら、同じ糸で異なった色を再現することにより、糸の無駄を最小限にしたものである。1839年に、James Templetonはシェニール織物の技術を生み出した。それらはより高価なもので、Patent Axminsterと呼ばれた。1884年には、蒸気機関による織機が用いられるようになった。それらの生産は20世紀の中頃まで続いたが、1878年のSpool Axminsterと1890年のGripper Axminsterの発明の後には衰退した。これらの種類は、1860年代におけるアメリカのHalcyon Skinnerのnipperと呼ばれる発明から生じた。
織り始めの前に、縦糸が織機の枠にセットされ、多くの織手が同じ絨毯に対して一緒に動くことがある。結びの列は完成した後に切られる。横糸は1-4列ずつ結ばれる。
結び方には3種類がある。それぞれ非対称的な結び目(PerisianまたはSenna)、対照的な結び目(TurkishまたはGhioreds)、単一の縦糸(Spanish)と呼ばれる。
現代の東洋における絨毯製造の中心は、トルコ、北アフリカ、コーカサス、イラン、ネパール、トルクメニスタン、チベット、Pirotである。
トルクメニスタンの国旗は、その文化における絨毯の重要性を示すもので、巻上げ側の近くの垂直な赤い縞模様を特徴とする。
現存する世界最古のパイル・カーペットは「Pazyrykカーペット」と呼ばれ、紀元前5世紀のものとされる。1927年に、Sergei Ivanovich RudenkoによってPazyrykの谷の中に氷に保存されたシベリアのグレーブヤードから掘削された。このカーペットの起源はイランのScythiansかPersian Achaemenidsのどちらかであると提案されている。
現存するパイル・カーペットのうち最も初期のものは、13世紀の後半に、アナトリア半島のセルジューク・トルコで作られた。実在する18個の作品はコンヤ・カーペットと呼ばれる。これらの大きな絨毯の中央の領域は、幾何学的な反復模様である。これらは大規模に様式化され、境界はKuficまたはKufesqueと呼ばれる状態で飾られている。
東洋の絨毯は13世紀にイタリア、ベルギー、イギリス、フランス、オランダで見られるようになり、17世紀から18世紀のオランダ、イギリス、フランスは、東インド会社によってヨーロッパにインド、ペルシアの絨毯を導入した。
ルイ14世が1678年にヴェルサイユ宮殿に移ったとき、シャルル・ルブランの指示により作られた105の傑作は使用されることは無かった。それらのデザインは、アカンサスの葉、建築様式の縁取り、および神話の場面(Cesare Ripa's Iconologie)をルイ14世の権力のシンボルと結合するものである。18世紀中ごろのデザイナーでPierre-Josse Perrotが最もよく知られている。彼の作品と図面は、優雅なロココ様式の巻物、主要なバラ結び、シェル、アカンサス葉、および花の飾りを示している。 Savonnerie工場は、1826年にパリのゴブランに移動した。Beauvais工場は1780年から1792年までパイル絨毯を作った。Aubussonの工場での生産は1743年に始まった。
ただし、絨毯は掃き掃除よりも掃除がしにくく、飲み物をこぼすと染みを作ることがある。また、人間やペットの毛を吸着する傾向がある。塵の蓄積を防ぐため、定期的に掃除機をかけるべきである。(ただし、掃除機の使用がアレルギー疾患を悪化させる場合もあり、注意が必要である。)
ダニが絨毯に大量に生息していることがままある。気管支喘息に苦しむ人にとっては、絨毯は問題が多い場合がある。